【綺麗か汚いか勝利か敗北か、潔癖勝利主義・田中大貴】
田中 大貴(たなか だいき)
1991年9月3日
長崎県出身
長崎県立長崎西高等学校→東海大学
アルバルク東京所属・ポジションシューティングガード
【背番号の由来ともなった学生時代】
小学校2年生の時友達に誘われ始めたバスケットボール。中学校で本格的にバスケットボール漬けになり、3年生時、キャプテンとして挑んだ全国中学生大会出場権を懸けた夏の大会でその年全国を制した福岡の木屋瀬中学に敗れた。
中学校で叶わなかった全国を目指し進学したのは県下でも有数の進学校・長崎西高校。当時のメニューはほとんどがディフェンス。練習時間の割合がオフェンス2に対してディフェンス8ぐらいの割合で現在のアルバルク東京の堅守の強度に通じるところがある。そして、1年生時よりスターターとしてウィンターカップに出場。2年生時の2008年インターハイとウインターカップでベスト16。その充実した高校生活の思い入れを背番号『24』(長崎西の『西=24』)として刻んでいる。
1年先輩の比江島慎(現・シーホース三河)が進学した青山学院大学からのオファーもあったが「比江島慎と対戦したい」という思いから東海大学に進学。1年生時よりチームの主力として関東大学リーグ戦18試合に出場。3年生時に全日本大学選手権の決勝では青山学院大学を71-57で破りチーム6年ぶりの優勝を達成し、MVPとMIP賞を受賞した。4年生時は関東大学リーグ戦ではチーム7年ぶりの優勝を達成し、MVPを受賞。全日本大学選手権では決勝で明治大学を73-54を破り連覇を達成。自身も2年連続でMVPとMIP賞の2部門を受賞した。
【アルバルク東京の顔に】
2014年2月1日、NBLのアーリーエントリー制度によりトヨタ自動車アルバルク東京に入団、プロに。19試合に出場し、1試合4.3得点を記録。 2016年に、プロリーグ統合に伴い、チームは、BリーグB1東地区からリーグ戦に参戦、ファーストシーズンからアルバルク東京の顔として58試合に先発出場しディアンテ・ギャレットに次ぐ、一試合平均13.2得点を記録し、チャンピオンシップ進出に貢献、レギュラーシーズンベストファイブにも選出された。2年目も、チャンピオンシップに出場し、因縁の比江島慎が率いるシーホース三河とセミファイナルで対戦。辛くも2連勝で決勝進出を決めた。
【日本代表】
東海大学3年生の時、初めて日本代表に選出され、2012年FIBAアジアカップに出場し準優勝、以降、鈴木貴美一HC、長谷川健志HC、そして現在のフリオ・ラマスHCの下で日本代表に選出されている。(2016年、オリンピック世界最終予選ではまさかの代表落選)
【プレイスタイル】
3ポイントシュート、ドライブ、ジャンパー(ジャンプシュート)とどのレンジからでも得点をすることができ、アルバルク東京のお家芸であるピック&ロールのフィニッシャーになることが多い。また、3ポイントシュートやジャンパーの思い切りがよさ、ドライブの中でもスネイクドライブの切れがよく、止めることが難しい。
【コート外では】
田中大貴といえば広瀬アリスとの交際報道が有名であり、その他の人間関係では同じアルバルク東京の小島元基と仲が良くツイッターやインタビューでは多く名前が挙がる。また、綺麗好き・几帳面と自負しており、部屋の綺麗さはチームメイトが驚くほどだとか。好きなものは「綺麗なもの」嫌いなものは「汚いもの」と公言している。
【今後の見どころ】
Bリーグ開幕直前、各メディアが特集を組む中、田臥勇太の次に露出が多かったのは田中大貴と富樫勇樹ではなかっただろうか。田臥勇太はそのまま栃木ブレックスで初代チャンピオンとなり、名実ともにナンバーワンとなった。今季、栃木ブレックスはクォーターファイナルで敗退した一方で、アルバルク東京はシーズン1位であったシーホース三河をセミファイナルで破り、初の決勝進出。その相手は富樫勇樹率いる千葉ジェッツ。田中大貴はアルバルク東京の顔として、攻撃の中心として、シーズン2位の千葉ジェッツを撃破し、Bリーグの顔になれるのか。