父親が監督をしていた山形大学が優勝した日に生まれ、「優勝」の「優」に子どもの子で「ユウコ」になるはずが、苗字との兼ね合いを考え、祖父が「雄子」とした。コート上で呼び合うコートネームは「シン」で、大神の「神」からバスケの神様になるようチームメイトからつけてもらった。
女子バスケ初のプロ。女子バスケ界の「英雄」「神」そして、レジェンドである大神雄子とは。
【大神 雄子】
愛称 シン
誕生日 1982年10月17日
出身地 山形県山形市
ポジション PG(高校はSG、実業団入り後コンバート)
背番号 1
身長 170cm
体重 63kg
足のサイズ 26.0cm
プレイスタイル 身長170cmと小柄ながら鋭いドライブからのダブルクラッチ、当時の女子では異例のワンハンドシュートを得意としスリーポイントもワンハンドで打つ。
【経歴】
父のコーチ留学先のロサンゼルスでNBAの地元チーム・レイカーズの試合に触発され8歳からバスケットボールを始める。
うめばちミニバス、小学時代の異名は「八小の武双山」だった。山形第一中学校で全中の決勝に進出、1998年4月に名古屋短期大学付属高等学校(現・桜花学園高等学校)に進学。2年時の1999年インターハイ、国体、ウィンターカップ三冠を達成し、3年間で7度の全国タイトルを獲得。
2001年、ジャパンエナジーJOMOサンフラワーズ(現JX-ENEOS)に加入。2012-13シーズン終了後に退団するまで9度のWリーグ優勝、7度の全日本総合バスケットボール選手権大会優勝に貢献。
2008年5月、開幕ロースター入りし、萩原美樹子に続く2人目の日本人WNBAプレイヤーとなった。23試合に出場し、総得点56点を記録する。
2013年9月、中国女子バスケットボールリーグの山西興瑞に翌年2月までの期限付きで移籍することを発表した。同リーグにおける日本人選手の登録は花田有衣、石川幸子に次いで3人目。同チームにはアメリカ代表のエース、マヤ・ムーアも所属している。レギュラーシーズンでは全22試合に主力として出場し、1試合平均33分の出場で8.2得点、3.5リバウンド、4.4アシストの成績を残し、レギュラーシーズン1位に貢献。プレーオフ・ファイナル4試合もほぼフル出場し、1試合9得点、5.5アシストの活躍で優勝に貢献した。
2015年、トヨタ自動車アンテロープスに加入。
2017-2018シーズンをもって引退表明。
【日本代表】
2004年1月、仙台で行われたアジア選手権でアテネオリンピック出場権獲得に貢献。アテネオリンピックには最年少の21歳で出場。
2010年世界選手権は最終順位10位だったが、出場8試合で1試合平均19.1得点を記録し、大会得点王に輝いた。
2013年の2013年アジア選手権でも全7試合に出場し、43年ぶりの優勝と世界選手権出場権獲得に貢献。
【引退後】
2015年からトヨタ自動車に在籍。今季開幕前に引退を示唆してシーズンに臨み1試合平均8.0得点4.0リバウンド2.0アシストをマークしたが、チームは3位という成績に終わり、5月31日に現役引退が正式発表された。
しかし、トヨタ自動車アンテロープスは6月8日、今シーズン限りで現役を引退した大神雄子がチームのDevelopmentコーチに就任したことを発表した。
そして、日本バスケットボール協会(JBA)の定時評議会ならびに臨時理事会が開催され、大神雄子のJBAアンバサダー就任が了承された。父と同じく指導者を目指しており「夢は五輪の日本代表監督」とコメントしている。
女子バスケのレジェンドはまだまだ続いている。